ぐわんぐわんと揺さぶり揺さぶられながら歴史を見せ合うという遊び

 トイレに入っている時にふと思いついたことを。

 何十年ぶりに会った時の、相手の変わりように驚くことがあると思うのだが、その再会時に『これこれこんな感じで今の私になってます』的なこれまでの私の写真集があるといいなぁと思った。写真集とまではいかなくとも、変化が分かる程度には枚数があればというか。それを見せ合い、互いに言葉だけではなく視覚でも変化を楽しもうという話である。

 例えば、学生の頃から会ってなかったとして。そこから数年ごとの写真、まあ3年か5年ぐらいの間隔で写真(できれば動画がいいと思うけど、さすがにそこまで用意できないだろう、私でも無理だ)を用意しておく。用意“しておく”というところがポイント。いつなんどき、『えぇ!?お久しぶり!』なる偶然(はたまた必然か)の再会が訪れるかもしれないからだ。できれば、変化が分かりやすければなお良い。頭髪や容姿の変化、環境や家族の変化などなど。そこらへんは間隔関係なく、写真(または…これこそ、ここぞとばかりに動画だと尚よし)があるといい。分かりやすさが増すだろうから。

 今ならスマホに写真フォルダなり作って、そこに入れておける。すんなりと完成できるだろう。 

 ここまで書いておきながら、言い出した私が『じゃあ準備しようかな』と思っても、まず準備できない。うんうん、無理である。なぜなら、写真が残っていないからだ。学生からこれまでの写真? ないない。残ってないんだなぁ、ワトスン君。ほんの少し、あるにはあるが、自分でも『これ、いつの写真だ?』と全方向で不明ですとばかりに考え込んでしまう始末である。あぁ、正確に残しておくべきだった、よなぁ。

 ライフログなんて言葉を学生の頃に知っていれば…やれたはずなのだが(あったのかもしれないが、無知なる私はただただポテチを食べるしかなかった)。今の若者なら簡単に出来る(だろうし自然と出来ている)だろう。そこらへんは本当に羨ましいなぁ、と思う。若さというのは何も体力だけが輝いているのではない。時間があるという輝き、タイミングという輝きもまた、存在しているんだよな。そうだよな、ワトスン君。だろう?

 なんてことを言っていてもはじまらない。今からでも写真を整理して準備しておくとしよう。いつ何時、偶然の再会が訪れるかもしれないから。どんな再会の仕方であれ…準備しておくに越したことはない。ということで。アナログな写真をスキャンするところから始めるとするか。わずかながらに残された、アナログの写真から。記憶とともに、整理整頓だ。