2019_07_28_2

 自分の感覚を、まずは疑うというか、知るべきだということ。

 あの店の味が変わったとか、あの商品の味が変わったとか。しまいには味が落ちたといったことを口にする人が、いる。
 確かに、そうかもしれない。確かに、味が落ちてしまったのかも、しれない。

 昔ながらのカップラーメンやお菓子、果てには地域ごとのカップラーメンやお菓子も、その時々、その場所で味を微妙に調整しているらしい。その時々の人の好みというものにあわせて生産しているというのだ。
 これはこれで、凄いことだなと思うし、何より面白いなあと思う。

 あの店の味も、あの商品の味も、同様に細かい調整を行なっているのかもしれないぞ、と私は思った。

 同じように、味をそのままそっくり、変えていないのかもしれない。味を変えたけど、うまくあわなかったのかもしれない。相変わらず美味しいという人と、変わったという人の割合も、思っているようにいかなかったかもしれない。単にさっきの人も、味があわなくなっただけなのかもしれない(好みというのは刻一刻と変わっていくものだと思うし)。
 色々な可能性が、あるんだということを、私は思った。

 下手に味が変わったとか、味が落ちたということを、口にしてはいけないんだなと、居丈高に口にしている人を見ながら、思う。
 色々な可能性がある中で、断定するのはどうなんだろうかな、と。

 自分以外のものやことを、考えつつ、考えると、面白いというか、深みが増してくるんだろうなと、考えさせられたな。なるほどねえ、だ。


【 Jul. 28, 2019 】